幸せの時間
『人は言葉で伝えようとするから、上手くいかないのさ。』
君の瞳はいつもそうやって、わたしを諭してくれましたね。
本当は、もっと、もっと長い時間をキミと過ごすはずでした。
キミが我が家に来てから8年と4ヶ月。
その1秒、1秒・・・全てが『幸せの時間』だったんですね。
2月のあの日、キミの身体から、その命が砂のようにこぼれ落ちていく時、約束していた子守歌を歌ってあげれなかったママを許してください。
いつの日か・・・、少しの間だけどお別れしないといけない時がくるけど、ママはどんなに辛くてもその瞬間は『ゆりかごの歌』を歌ってあげるからね。って、そう約束していたのにね。
やっぱり、ダメなママだったね。
キミの姿が見えなくなってから、この家の中はすっかり静かになってしまいました。
それでも、時間というお薬で、みんなは、なんとか頑張って過ごしていますよ。
まだまだ、キミを想い出しては涙が溢れて止まらない日もあるけれど、キミから学んだことを、ママはしっかり抱えて生きています。
キミの命を長らえることができなかったことへの悔しさや、もどかしさ。
これもしっかり、抱えて歩いていきます。
キミは、誰よりも甘えん坊で食いしん坊。
そして、誰よりも優しくて、強い子でした。
本当に立派なバグでしたよ。
キミの無垢な瞳はいつまでも、ママの宝物です。
いつか、会える日が必ず来ます。
今度会えたら、二度と離れることはないですからね。
それまで、少しの間、そちらで待っていてください。
8年と4か月、幸せの時間をありがとう。
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前回のブログを書いた日の朝、気管支拡張剤を中止したことと、歩行障害も激しくなったので、急遽、病院へ連れて行きました。
そこで、主治医から言われたことは、『MRIを撮るまで診断も処置もできない。』
気管支拡張剤の副作用ではなく、脳疾患の疑いだと。。。
それからMRI検査までの数日間、何もできない私たちは、ただ、ただ、ひとりで戦う我が子を見守るしかなかったのです。
そして、ようやくMRI検査を受けたところ、結果は『脳腫瘍』でした。
検査の途中で、『放射線治療を受けることを承諾するか否かを聞かれ、承諾ならばそれに向けた検査をこのまま追加する。いずれか決断をしてください。』と、言われました。
助かるのなら何でもしようと、そう信じて承諾し、長い検査を終えました。
脳圧を下げるお薬を処方され、それを服用してからは、少し体調が良くなったようでした。
足下はおぼつかないけれど、何度も部屋の中を歩き回り、目の輝きが戻ったので、私たちは、きっと治るんだと思い込んでいました。
けれど、検査から3日後、それまでより、いっそう元気に歩き回り、ご飯もしっかり食べ、お水もたくさん飲んで、心配していた排泄も上手にできたその日の夕方、愛しい我が子は、放射線治療を待たずに、あっという間に逝ってしまいました。
放射線治療は、、週に2回、全部で12回を予定していました。
全身麻酔下で行う治療なので、効果はあったかもしれませんが、現状の体力では全麻には大きなリスクがあったとも言えます。
そう思うと、この住み慣れた我が家で、みんなに見守られて旅立ったのは、彼の意志だったのかもしれません。
とは言え、いつでも家族の笑顔の中心にいた、彼のいない生活に慣れるということ。
そして、3パグでこの家の中を闊歩していた、あの愛らしい光景を二度と見ることができない現実を受け入れるということ。
それらは、家族一人一人にとっては、言葉にできないほど苛酷な作業でした。
2か月が過ぎ、ようやくこのブログを続ける気力に辿り着けたのは、2パグレディースのおかげです。
もっともっと、やるべきことはあったという後悔の念はつきませんが、残った子たちのためにも、いっそう健康に留意して日々を送ろうと思います。
一緒に暮らしていると、同じ時間で生きているように思ってしまうけど、この子たちの命のスピードは私たちよりうんと早いのだから、ぼやぼやしてはいられないのです。
今回のブログ更新までの期間、SNS等を通じて多くの皆さんにご心配いただき、温かいお言葉をいただきました。
心より御礼を申し上げます。